夢商売

2005/08/13

やめとけよ、と声が背中を引いた。
「え」
「そいつが売るのは夢じゃねェ、薬だ」
目の前の男の目が細く細く線になる。仮面の笑顔が深く深くなって、目が回るような心もちになる――寸前に視線は背中の男に向けられる。
ふ、と一息ついて、肩越しに振り返ると少年がにらんでいる。
「ところが、このお客さんに売るのは本物なんで」
夢売りの言葉にきれいな少年はまっすぐな眉をしかめた。
「なおさらタチが悪い」
「ええ、そうなんで」
夢売りはさらりとそう言った。



「たいていのお客は紛い物の夢で十分です」
薬で作った夢です。
ああ、そこいらの粗悪品と同じにしないでくださいよ。
私の夢は紛い物と言えど極上品。
その人の心から最上級の快楽だけを抽出して見せてくれる。
間違っても悪酔いなんかしませんや。体にだって悪影響はまったくない。
けどねえ、どうしてなんでしょうね。
人は快楽を知ってしまうと現実に満足できなくなってしまうらしいですね。たった一夜の夢だとわかっているのに、なぜ彼らはまた夢を買いにくるんでしょう。しょせん紛い物の夢なのに。
悲しいですねえ。
唄うような調子の言葉はすうと頭に染み透り、拡散していく。淡い初雪のようにそれはすうと溶けて、味わう舌に毒のような冷たさを残す。


「けれど時にそんな紛い物では駄目なお方がおられる」
夢売りの細く長い指がつと目の前を通った。それが自分を指して行ったのだとわかっていたかどうか。
「そんな方には本物の夢をお売りするしかないでしょう」
だから、タチが悪い、と少年は鋭く舌を打った。
本物の夢、と口の中で呟いたのが聞こえたのだろうか。

「おい、そんなもの買うんじゃねーぞ」
少年の制止の声も
「紛い物の夢で満足なさる方というのは」
と夢売りが話し出すから、またそちらに目が行ってしまう。いや、そうでなくても、だんだんと少年の声は雑音じみてきて。
紛い物の夢で満足なさる方というのは、自分の心にちゃんと幸福をお持ちの方です。一度は幸せだと思ったことがおありなんで。だからその心から生まれた夢で満足なさる。だってこれはしょせん紛い物、その幸せをもういちど引っ張り出しているにすぎないんですからね。けれど一度の幸せを知った人はそれが簡単に手に入るとなれば、すっかり溺れきっておしまいになる。
ところがです。
お客さんみたいな方はですね。


聞いてはいけないと少年が言ったような気がした。
だが、その声はもう意味をなしておらず。
「お客さんみたいに生まれてこの方一度も幸せだったことのない方は、紛い物の夢を見ることすらできないんですよ」


だから、あなたには本物の夢を売ってあげますよ。
本物の夢を。





細い目が世界を覆いつくす。
最後にふと、ああ、あの少年は鋼のではなかったのだな、と思った。あれも紛い物だった。
良かった、と一言呟いて闇に体をゆだねた。

…鋼のの前でこんな無様を晒したのでないのなら。





「良かァねーだろーが!」
ぶっとばされた。
殴られた頬を押さえて見上げれば、呪縛を無理やり引きちぎった少年が
「ああいう端境の妖は俺たち理論武装の錬金術師には天敵なんだよ!それなのにあっさりふらふらと術に落ちやがって!」
まとわりついた白糸を払い落とす鋼の右腕をぼんやりと見上げた自分に、少年はあ?とこぶしを固める。
「もう一発ぐらい喰らわないと目ェ覚めないって?」
声が嬉々としていた。
「いや…」
何か言わないと殴られると、慌てて首を横に振る。
「夢なんかいらなかったんだ、私は」
「思いっきり連れて行かれそうになってたくせに」
少年は片眉を上げる。
「しあわせなんか知らない」
「しっかりしろよ、大佐」
「知らないが、」
しらな い が



少年がおい、と肩をつかむ。その手を外させて、ぎゅっとつかむ。
「不幸なら十分知っている。君がそばにいないことだ」
そっと抱き寄せれば抵抗はなく、とんと肩に頭を乗せてくる。
「おおい、まだ夢見てんだろ、あんた」
「ああ…幸いにも、覚めない夢だ」


多少怪談めいたものを、と。



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