幸福の代価-02

2007/01/29

普通の街だとエドは考える。幸か不幸か、二人は今のところ何事もなく街の外周にたどりついていた。街が視認できる所で車は乗り捨てた。車は何かの時に大惨事を引き起こす可能性がある。
このあたりで軍人がやられたはずだが、報告時点で確認できた場所にその姿はない。街は破壊の跡もなく、何らかの戦闘の形跡もない。
「異常事態であることは確かだな」
男は既に発火布を身につけている。
空を見上げるその視線でお互いの考えが同じだとわかる。人影どころか、鳥もいない。だがもっと異常なのは。
「存在するのは音だけ、か」
どこからか人の話し声がする。市場でものを売り買いする声、歩く音。
鳥の声がする。車が走る音がする。
だのにその声に向かって歩いても、距離は縮まらない。どこからか、聞こえてくる音は音だけで実体を持たない。
「どうなっているんだ」
「仮説としては、俺たちが既に取り込まれて術中にはまっているか、あるいは術にはまっている者たちが見えなくされているか」
「その二つには大差ないように思えるがね。箱の災厄が精神に作用しているのは間違いない」
なぜか二人の声は自然と小さくなる。周囲を囲まれているという感覚が消えない。
特にロイは気持ち悪いものを感じていた。殺意ではない。だが何かを感じる。視線よりも捉えがたく、柔らかく包むような。
「まあな。どちらにしろ何も起きないのなら、当初の予定通り」
円状に展開するこの災厄の中心は、町の中心とほぼ位置を同じくしている。ならばそこに元凶、ここで言うところの「パンドラの箱」が存在するだろうというのが、ロイの意見だった。
町の中心へ向かい、箱に再び災厄を封じる。




多少、状況に流された部分はあるけれど、とエドは足を進める。
ロイはまだ俺に隠してることがあるな。
命に関わることで隠し事をしているとは思わないが、大佐が俺に教える必要がないと判断したことの中に事態打開の重要なキーワードが隠されていることもある。
だが、機密だと言われれば、エドにそれ以上の追求は許されない。
パンドラの箱の伝説と現実のレスポールの街の状況のどこに類似点が存在するのか?
なぜ大佐はこの街がパンドラの箱の災厄に見舞われていると断じるのか?
そもそも、トーラの写本にはパンドラの箱の災厄について、もっと具体的に描写されているのではないのか?
あるいは知っているのはもっと上層部か。
この街に起きているのは何だ?



思索は唐突に破られる。
「兄さん!」
「アル!」
耳慣れた声とがしゃんがしゃんという音にエドは慌てる。手を振りながら走ってくるのは間違いなく鎧の姿をした自分の弟だ。
「ごめん、追っかけてきちゃった」
えへ、と笑うアルはでも、と続ける。
「やっぱり魂だけの僕ならこの状態の影響も受けにくいと思うんだ。だから」
「今お前には何が見えてる?」
「たくさんの倒れてる人たち。一応息はあるけど、衰弱してきてるみたいだね。食事もせずにここに倒れてるんだから当然だろうけど」
私たちにはそれは見えないんだ、と大佐は言い、アルはそうだろうと思いました、と律儀に返す。目もくれずに歩いていくし。
「やっぱアルが来てくれて正解だな。お前がいてよかったよ」
いつもなら怒るところだが、エドは素直にそう言えた。
アルには二人に聞こえている声も聞こえないらしい。箱の幻覚ならば無視して進んでいいだろう。
「目指すは――」
「聖堂だ」
三人になった一行は足を進めた。



聖堂はこの街を代表するにふさわしい素晴しい建物だった。
「でえええええい!」
「なんて数だ!」
今は見る影もないが。
一級の芸術品であるステンドグラスは無残にも欠片となり、清浄を示す白布が引きちぎられ、すすけ燃えている。
聖堂に一歩足を踏み入れた途端に、地面から沸いて出た牛頭馬面の化け物たちが三人を襲った。エドの槍が血しぶきを散らし、大佐の炎が焼き尽くす。爆風の中にアルの錬成の光が走り、エドが両手を打ち合わせる。
「アル、大佐、あれ!」
「ああ!間違いない」
聖堂の祭壇に光を放つ箱がある。
「兄さん、あれって!」
戦いの中、ちらりと見たアルが目を見張った。
「ちょっと待て、まさかあれは」
大佐が動揺のあまり、発火のコントロールに失敗し爆炎に大きく咳き込んだ。怪物に飛び蹴りを喰らわせ鋭く着地したエドが勝ち誇ったように叫ぶ。
「賢者の石だ!」
箱に収められているのは赤く光る石。それは波打つように鼓動を刻むように赤い波動を放つ。
ぼんと最後の炎が燃え尽きた。


一瞬聖堂が静寂に満たされた。緩くなっていた壁が崩れて粉塵を巻き上げる。
偽物かもしれない。
「兄さん」
促す声が静かだ。
期待していなかった。あれだけ探し回って、まさかこんなところで。
エドは箱から石を取り上げた。それを止める者はいなかった。一瞬大佐が、と思ったが、彼は口をつぐみ、この事態を黙認するつもりらしい。当然だ。自分たち兄弟が何を求めこの苦しい旅を続けてきたか、もっとも良く知る男だ。
どくん どくん
脈動が手から明確な熱となって流れ込む。
手早く描かれた七重の錬成陣。常にエドの頭にあったそれは、遅滞なく地面に展開される。
「行くぞ、アル」
「うん、兄さん!」
信頼しきった声がエドに力を与える。
手が打ち鳴らされ、光が溢れた。


「兄さん!」
「…やったのか…?」
エドはその腕の中に確かに質量を感じ、それでも半信半疑の声を漏らす。
目の前にいるのは鎧の姿などではない。あの失ったその時、その姿のままのアルフォンス。自分と同じ金の髪と瞳。母さんに良く似た鼻と目。耳は俺と同じ形。
両手両足五体満足で、その肌は日に焼けず白い。ちょっとぷっくりした腕。エドが記憶しているままのアルフォンス。
「やった!やったんだな!」
エドの心中を喜びが満たす。歓喜が爆発する。
「とうとう俺は勝ったんだ!」





思いがけずレスポールの街で目的を果たしたエドの次の行動は早かった。
あの妙にもののわかった大人たちは、軍を離れると言うエドを引きとめようとはしなかった。別れにもあっさりと送り出す。大佐などは最後にせいせいすると憎まれ口までたたいて、エドを追い出した。
それが彼らの優しさだとエドもアルも知っていた。


二人は燃やした家の跡地に、新しい家を建て直した。
同じではないのに、どこか前の家を思い出させる家。それは二人がちゃんと新しい一歩を踏み出したことを表していた。
相変わらずロックベル家はお隣さんだ。ばっちゃんも元気だし、ウィンリィも時々里帰りする。もうちょっと修行したら、そろそろ帰ってこようかな、とこの間彼女はエドに打ち明けた。
あそこは楽しいし毎日が刺激的だけど、エドも…エドたちも帰ってきたし、私もおばあちゃん孝行しないと。
その後アルが呼びにくるまで、二人とも黙ってしまったのは内緒だ。
地下に実験室を作ったエドは、自分の研究を再開した。
結局、エドは根っからの研究者だ。彼の好奇心を止めることは誰にもできない。
そうしてエドは、ある日再び箱を開ける。





数夜思い悩んだ後、エドは地下室の更に奥、金庫の中に隠してあった箱を取り出す。
ふたを開けると赤い光があふれ出す。
真の賢者の石は、全ての錬金術の法則を飛び越える。磨耗も破損もしない。それこそが第一物質であるゆえん。アルフォンスの肉体を呼び戻すのに使用した賢者の石はいまだエドの手にあった。
自分が幸せな生活を送っている事に異存はない。
アルフォンスとウィンリィ、故郷リゼンブール。
だがそれでも自分の心はまだ足りないと言っている。
俺が知りたいことはまだたくさんある。
それはあそこにある。
扉の、向こう側に。


この石を使えば真理を得られる。
莫大過ぎる代償を支払うこともなく。
それでも理由なくためらう心を、錬金術師としての好奇心と理性が押し切った。

エドは石を前に手を打ち鳴らす。
世界の法則を俺の手に!
真理よ、俺の前に姿を現せ!




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