幸福の代価-03

2007/01/29

黒い鴉が二人を見下ろす。
ばさばさと翼を鳴らしたその中に女はゆったりとくつろぐ。
レスポールの街。尖塔の出っ張りに腰かけ、黒衣の女は顔を歪める。
ここは悪夢の吹き溜まりだ。
「やはり人は魂で夢を見るのかしら」
ここにあの魂だけの少年がいれば、その答えも知れ、一つ人は真理の深遠に触れることができたでしょうに。
たとえアルがいてもけして合力などしないホムンクルスは、目の前を流れる悪夢から目をそむけ、二人の錬金術師を見下ろす。
「電気羊でさえ機械仕掛けの夢を見るというのにね」
ホムンクルスは夢を見ない。





「危ない、鋼の!」
聖堂にたどりつく前に二人の前に立ちふさがったのは、巨大な怪物だった。広場の噴水から現れたその肌は粘性のある液体でぬめり、奇怪な触手をうごめかせる。
こんにゃくだ。それも糸こんにゃくをくっつけたこんにゃく。
まさかロイにこんにゃくにたとえられているとも知らず、ぞろりと数をそろえて近づくそれは、明確な敵意を持って攻撃してきた。
本体ののろさに比して、思いがけない速度で触手が伸び、さっと避けた二人の足元に大きな穴が開いた。敷石を豆腐のように軽々と砕く。その威力に二人は身構えた。
思ったよりも、厄介だ。
ロイは顔には出さずに考えた。


そう、この災厄についてロイはエドには言っていないことがあった。
破滅をもたらす災厄の正体を見極めた者はいない。だが、この災厄がヒトに何をもたらすのかは知っている。トーラの写本に記された内容は大半が噴飯モノだが、一部についてはトーラ写本以外にも同じ記述が見られる部分があるのだ。蒼湖文書や蔡タン記、他にもいくつか。
それらによれば、この災厄は何度か世界を襲っている。悪夢の中に人々を取り込み、少なくとも国を一つ滅ぼす。
だからこそ、ロイは軍ではなく一人で来ることを選んだのだ。

だが?
ロイにそれを知らせたのは、匿名の封書。
書庫に眠るトーラ写本を見るように指示し、その対策と封印の方法を示した手紙は、ホークアイ中尉に預けてある。もし自分たちが戻らなかった時は、ある錬金術師に渡すように命じている。
それを指令部の自分の机に置いたのは誰なのか。
ホムンクルス?
だがなぜ。これも彼らの実験だというのか?


錬金術師は疑問を溢れさせる。エドに伝えなかったのは、錬金術師であればあるほど、この疑問に心を奪われずにいられないからだ。
軍人は疑問を封じて、任務を遂行する。
「結果が、全てだ」
いずれこの悪夢は国を滅ぼす。
そこまで考えて、ロイは首をかしげた。

なぜ…なぜこの災厄は拡大する様子がないのだろうか。




「大佐!」
新たに頭上から急降下してきた鉤爪をロイは落ち着き払って避けた。
それはむしろ慌てた声を上げたエドが逆に赤面するくらいの余裕で。
「こうやって背中合わせで戦うのも悪くないな」
「言ってろ!」
ぱっと飛び離れた二人はそれぞれの方法で錬成陣を描く。


巨鳥が降りてくるのを待たずに指が鳴り、火線が飛んだ。
爆炎を突っ切った巨鳥が一羽、鉤爪をエドに振り下ろす。
がっきと組む音がし、刃の形に錬成された鋼鉄の右腕が鉤爪を受け止める。既に打ち鳴らされていた左手が錬成の光を宿して、地中から神槍「嘆きのサティロス」を引き出す。
こんにゃく怪物群に対峙していたロイはエドの姿を左目の端に捉えていた。


巨鳥の脇腹を槍が貫き、爆散する。
その巨体に隠れたエドの死角から――怪物の触手が伸びる。
発火布を鳴らして援護しようとして、いつの間にか発火布が擦り切れているのに気づく。替えの手袋は持っているが、間に合わない。
まに あわない




「大佐!たいさっ…!」
一瞬の意識の断絶があった。
気づくとロイはエドに抱きかかえられていた。
何が。
言おうとして太ももに覚えのある灼熱感を感じる。
ああ、これは。
エドをかばって受けた触手は、ロイの右足に穴を開けていた。骨が折れているどころか10センチほどごっそり砕かれているのがわかる。かろうじてつながっているが、これでは切断は免れえない。
戦場を知っているロイは、これでオワリだと悟る。
動けなければ、絶対多数のこの状況で生き延びるすべはない。
「鋼の、行きたまえ」
不思議と痛みはなかった。ただもうろうとしてきているのがわかるだけだ。ちゃんと意識を保てるのはあと少し。
「大佐…」
エドはロイに覆いかぶさるようにその体をぎゅっと抱きしめた。
「鋼の、早く――」
抱きすくめられたエドの肩越しに、距離を詰めてくる怪物たちが目に入った。
早くしないと囲まれてしまう。
だがエドはロイを離さない。
「俺、あんたを置いて行くつもりないから」



ロイは知らず目を閉じた。
パンドラの箱の怪物たちが周囲を囲む。ロイはエドが自分の言葉をきちんと理解していることを悟る。
エドが一緒に死のうと言った。エドと一緒に死ねる。
エドがそう、望んだ。
ああ、一緒に行こう。
どこまでも一緒に。




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