6月の扉

2004/05/11

司令部の近くに取った宿は、都合のいいことに窓からは全く司令部が見えない。
誇らしげに掲げられた忌々しい紋章は、必要のない時まで見たいものではない。
窓枠に腰掛け、生身の足を引っ掛ける。
だが、もし建物の陰に隠れていなくとも、今日は見えないだろう。
まだ夕方だというのに厚く垂れ込めた雲は太陽の光を完全にさえぎり、降りしきる雨は一寸先までもかすませる。
今日は天気だけでなく全てにおいてことごとくハズレの日だったらしく、図書館でも興味を引く書物に出会えないばかりか、前々から借りたかった本はなぜかセントラルへと取り寄せされていて、3日は戻らないとの事だった。
あきらめて早々に帰ろうとしたら、この雨。更にはずぶ濡れで宿にたどり着けば、たった今弟が傘を持って自分を迎えに行ったところだという。
この雨でお互いに気づかなかったのだろう。完全なすれ違いだ。

とりあえず湯で温まり、弟の帰りを待ってはみるが。
…そろそろ迎えに行ってやるべきなのか?
これだけ帰りが遅いのは、どこかで捨てられた小動物の傘になっているのか。雨に濡れて風邪を引くことはないとしても、心配になる。
この雨の中を探しに出たら、怒られてしまうのは俺の方なのかもしれない。
「風邪引いたらどうするんだよ、兄さん!」
高い声が容易に想像できて、思わず笑みをこぼす。


と、俺はぐっと身をのり出した。
窓に貼りつくようにしてうかがう下の通り。
傘も持たずに、どこかふらふらと男が歩いている。
あれは…あのシルエットは。


俺は思考より速く、どっと床板を鳴らして、部屋を飛び出た。





「何やってんだよ、あんたは!」
慌てて引き込んだ、そのつかんだ袖の感触に違和感があった。
だがそれが何か悟る前に
「この雨の中、傘も持たないのかよ、あんたは!」
しまった、俺もさっきまでずぶぬれだったと思ったが、この男が知るわけもないと思い直す。
「大体、雨の日は無能だってのに、あんたの有能な部下たちは何してん…」
ぐらりと大きく男の体が揺れる。
脇に腕を差し込むようにしてその体を支え、そして俺は遅まきながらようやく気づく。


背筋がぞくりとした。
これは、怪談か何かか?
俺が今抱いているのはいったい何だ。
本当に…本当に。
焔の錬金術師と呼ばれる、尊大で鼻持ちならない軍人。
俺を国家錬金術師の道へと引きこんだ張本人。
その術の特性から「雨の日は無能」と称される、あのロイ・マスタングなのか。


それなら何故。
この土砂降りの雨の中歩いてきて、青い軍服が一滴たりとも濡れていないんだ!



うつむいた顔を隠す黒い前髪の隙間から、笑んだ口元が見えた。
「…だろう…?」
「…」
もともと幽霊か亡霊の類を信じるような、やわな神経はしていない。すぐに冷めた思考は冷静さを取り戻し、俺は聞き返す手間すら省いて、この両手に余る厄介な荷物を部屋に運び入れる。
濡れてはいなくとも疲弊しきっているらしい体は、こちらの誘導するままにベッドに横たわる。
思わず出た溜息は、彼のさらなる笑いを誘っただけだった。
どこか精神の箍すら外れかけているらしい。酔っているわけではなさそうだから、極秘任務の後だとか、何かろくでもない目にあったとか。そんなコトが想像つく程に、この大人との距離は近くなってしまっていた。
それを自覚してまた溜息をつきそうになった。


「疲れてるな、少年」
やけにはっきりとした声で言われて、あんたのせいだろ、と冷めた眼差しを向けた。何もかも普通じゃない。いつもの大佐じゃない。
「さっさと寝ちまえ。んで、明日はまともに戻れ」
「弟はどうした」
「行き違いになって、それきり戻ってきてない。―けど関係ないだろ」
「ついてないな」
「なんだよ、アルに用事か」
「君にとって、だよ。鋼の」
男はまた笑う。乾いた空虚な笑いは、ただ宙に拡散して何も残さない。
全くだ、と思ったが、口には出さなかった。その代わりに椅子を引いてきて、背もたれを抱くように腰掛ける。
「何があったのか、話す気にはならないのかよ」
俺もどうかしていた。
うっかりこのダメな大人に優しくしてしまうなんて。



「できるとなれば、想像はつく。そうだろう?」
返事は返事になっていなかった。また、やけにはっきりした声。
そうだ、最初に言われたのは、この言葉だった。そう思って俺は眉をしかめる。
「――ああ」
俺はそんなことを聞いたつもりはないぜ。けれど返事を待っている風の目に出会って仕方なく口を開く。
「あんたはどうも化学反応がお得意らしいから、範囲を限定した水の分解とかさ。あるいは雨を蒸発させるとか。でなきゃ単純に吹き飛ばしているとか」
水を蒸発させるには高温よりも低圧だろう。圧が下がれば沸点は下がる。気体の凝縮はこの男の使う発火過程の一部だ。逆も容易だろう。
そんなことが錬金術でできるとわかれば、その方法を考えつくのは難しいことではない。
コロンブスの卵、だ。
それに、どうやってやるかなんてのは些細な問題だ。
そんなことよりも。

うんざりする。
俺は唐突にそう思った。
俺が大佐を好きだと思うのも、大佐を抱いて充足した気になるのも。
大佐が俺を欲しがるのも、大佐が俺にみっともなく執着するのも。
全てうんざりだ。
俺は早々にここを立つべきなんだ。そしてまた数ヶ月かあるいは半年、それ以上の期間を置くべきだ。俺たちは一緒にいすぎるとおかしくなる。俺たち二人とも。

あんたは全部嘘ついてやがったんだ。
あんたを信じてついてきてる部下にすら、雨の日は無能なんだと信じ込ませ。
雨の日は濡れて発火布が使い物にならない、だと?
なんで俺はそんな単純な仕掛けに今まで騙されてしまっていたのか。
いや、それが単純だからこそ。
『できるとなれば、想像はつく。そうだろう?』
ああ、それをやっていたあんたの意図はわかる。
完璧は反感を買う。
身内にまで恐怖を抱かせるようでは、心を得るのは難しい。何か一つ弱点があるくらいがちょうどいい。そんな計算。


「わかるだろう?」
なぜ、私がこれを見せたのか。
やはりどこか熱に浮かされたような目をして、男は自分がうなづくことを期待している。狂気の光を認めた気がして、俺は怖いなと思う。
それは俺の持たない種類の狂気だ。
自分がマッドと呼称される類の錬金術師だという自覚はある。そうでなくてはならないとも思っている。俺たちはなりふりかまわず肉体を取り戻すためならば何でもすると、そう誓ったのだから。
けれど、その狂気とこれとは違う。
「ああ」
低く答え、俺は乾いた発火布の手を取り、指先に口づけを贈る。

俺は大佐が無敵だと知ってしまった。けれど大佐が無敵でないことを知っている。
大佐の弱点ぐらい、いくらでも数え上げられる。
けれど、今は。




「あんたの弱点が俺だってコトぐらい百も承知だよ、大佐」


かっこいい大佐を書こうと思ったはずなんだけど―…???
とりあえず、「雨の日は無能」を打ち崩してみた。通常「強い=かっこいい」なんだけど、大佐はどんなに強くしても、本当にキモくてヘタレだなあ…(愛)。

大佐がエドにそれを見せたのは、エドがそれくらいで大佐を恐れたりしないから。エドは大佐の弱点を知っているから。
けど、エドが大佐の弱点だ、というのは合っている様で間違っている。エドはわかっていながら、弱点をあげつらうのではなくそんな冗談で紛らわした、と。
アルは帰ってきてるけど、最後のセリフだけ聞いちゃって入れずにいると良い(笑)。

最近甘くないですねー何故だろう。
そもそも甘々ラブラブのバリエーションが私の中にあまりないからな…(汗)。

実のところ、雨に濡れそぼっていたんだけど、突如ふしゅ〜と白く体から蒸気を上げ、乾かしてしまう大佐、というバージョンも考えていたんだけど、どう考えてもギャグかパロディでしかないと思ってさ…。




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