空色の衣

2004/07/11

すっと白が青い空を二つに割った。
目にも鮮やかな白は目を引き、強い太陽の光に閉じたまぶたにくっきりと跡を残す。
エドは寝転んだ足を振り下ろす反動で手もつかずに立ち上がる。背後で近づいてきた男が足を止めたのがわかった。草を踏みしめる音が止まる。
エドはかまわず身をかがめて、少し先に落ちた白い紙飛行機を拾い上げた。
白いぱりっとした紙で折られたそれは几帳面なつくりで、造り主の性格を思わせた。少し羽を上向きに折り、より長く飛行するように工夫してある。
とても幼い頃、それに熱中したこともあった、と思う。けれど、自分たち兄弟はすぐにそれに飽きてしまった。もっと複雑で面白いことを見つけてしまったから。





「子供っぽいことするなよ」
振り返り、エドは左手でそれを投げ返す。
緑の野に立つ男は、宙をすべるそれに手を伸ばす。
だが、わずかな空気の動きに紙飛行機は飛線を変え、白い指先を巧みに避ける。
おりからの風で大きく自由に舞い上がったそれは、男の背後で聞きなれた音と同時に一瞬で燃え上がり、灰となった。


「最近、どうしている」
紙飛行機などなかったように振舞う男は、エドの見開かれた瞳にも、ついで咎めるような眼差しにも気づかないふりをする。
「さァ」
言った声は自分でも子供っぽい不満の色に満ちていて、言い直す。
「それなりにうまくやってるよ。報告ならあんたの所にも届いてるはずだろ」
「少佐は君が一番功績を上げていると言っていたな。しかるべき時期に大佐昇進の話があるだろうと」
「へえ。それはいいな」
「与えられた仕事をきっちりやってさえいれば、痛い腹を探られることもないからか。ずいぶんと上にもうまくやっているらしいな」
「……それを言いにきたのかよ」
全くごくろうなことで、マスタング将軍。と揶揄に紛らせながらも、警戒を怠らない。
変わらないようで、少し変わった。それとも逆か。変わったようで変わらない。相手に対する感情はお互いに変わらない。けれども。





「ああいう輩は上へのパイプも持っているものなのだよ」
溜息とともに吐き出された言葉。
「君が許せなかったのはわかる。だが、町一番の権力者となると、今までのようにそう簡単には行かないものだ」
つい先だって、エドが様々な罪を暴き、検挙した男の名前を挙げる。表の顔は商工組合の重役で町の名士。しかしその一方で、工場で人々を奴隷同然に働かせ、あげくに有害な物質を山に廃棄し、汚染された河川により多くの人が病気となり、原因も究明されないまま死んでいった。
「俺は後悔してない」
「やり方がまずかったな。なぜ、いったん軍の施設に収容するという形をとれなかったんだ」
叱るでもなく、ただ問うロイに、エドは燃える目を向ける。
「あんたは俺の痛い腹を知ってるのか」
「…まあ、君が新しい町を作ろうとしていることとか、慈善事業めいた活動を民間人にやらせている事とかはね」
エドは先の戦争で疲弊した町を先鋭的な思想に基づいて再興しようとしていた。そしてそれは大部分のところで成功している。ただし、どうあっても軍部には受け入れられない思想は、報告書上は巧みにぼかされていた。それは、イシュヴァールの民の一人を中心としていたのだ。
慈善事業めいた、と言われたのは名目上は錬金術の学院で、その実、親を亡くした子供たちを養育する場所だった。当初軍の予算で作られたそれは、国家錬金術師の養成を目的としていたが、気がつけば民間に安く払い下げられており、そこで育った子供たちの多くは軍人になるよりも、商人や技師となっていった。
似たような事例は、いくらでもあった。
それでもエドが叩かれないのは、先に言われたとおり、上から言われたことは彼らの期待した方法とは違えど成果は上げており、また適度な鼻薬も欠かさないからだった。





いつから彼はこうなったのだろう、とロイは眩暈に似た感情で、平然と立つ少年の青い軍服を見た。
ある日、少年は一人の金髪の子供を連れて戻り、その子を弟だと言った。彼の手足も生身へと変わっていた。彼の鋼の手足しか知らないロイは、その夜抱きしめられた感触に身震いしたものだった。
翌朝、除隊申請書と国家錬金術師の資格返上申請を渡した時、少年はにっこり笑ってそれをためらいなく引き裂いた。
「俺にはここでやるべきことがあると思うから」
反対する弟と喧嘩別れ同然に別れ、職業軍人となった少年に何があったのかは知らない。すぐに内乱と南部戦線にあいついで送られ、あっさりと中佐に昇進した。平然と軍務をこなすようになってしまった彼に、タッカ―の事件の時の面影はない。


右手の白い手袋と空色の袖の間に金属の輝きを見た気がして、ロイはふと手を伸ばしそうになる。その動きに気づいて、金髪の少年はああ、と手袋を外し腕をまくる。
繊細な白銀の輝き。
思い浮かぶのは、昔日の機械鎧。だがその下には確かに筋肉質の腕が見えている。一瞬の幻影に惑わされそうになる男にかまわず、少年はウィンリィに頼んで作ってもらったんだ、とロイも知る幼なじみの名前を出す。ウィンリィ・ロックベルは、アルフォンスとは違い、エドの入隊に反対したもののその意思を変えることができないと知って、軍人のエドワードを受け入れたらしい。今では彼女は義手装具のロックベルを切り盛りする若き女社長だ。
「銀に見えるだろ。けど、これ鋼鉄なんだ」
なんか、配合とか温度の関係らしいんだけどさ。
装飾性の高いそれに少年の好みを思い出し、苦笑する。確かに昔から凝ったデザインの錬成が多かった。


「最近、作らせたんだ。やっぱり俺にはこれが合ってる気がするから」
白い手袋をポケットに突っ込み、右手首を掴み、空にかざす。細い鎖でつながれたそれがちりりと軽い音を立てる。
「俺が捕まえたかったのは、あいつなんかじゃなかった。あいつをうまく操ってた奴がいたんだ」
唐突に話題が戻り、ロイは慎重に問いを選ぶ。
「錬金術師か」
「――ああ。だけどそいつには逃げられた。おまけに口封じまでしていきやがった」
エドが直接手にかけたわけではなかったと知って、ほっと安堵の息を洩らす。
「だが報告書には」
「黒幕に逃げられて、手がかりも口封じされたと書くよりは、反抗されたのでやむなく殺した、そっちの方がいいだろ?」
それに町の人間にとってはどっちでも同じさ。あの町に手出しはもうできないんだから。
少年は大人びた表情でつけ加えた。


「その錬金術師とは何者だ…?」
少年はちらりとロイを見ると、またまっすぐに伸ばした右手に視線を戻す。
「俺みたいな錬金術師はいろんなことができるんだと思ったよ」
つぶやくような言葉の真意が見えず、男は戸惑った。
「キメラは優秀な戦力となる。金なら錬成できる。怪我を治せば、救世主だ」
様々な科学の知識は、どこででも歓迎される。多少口がうまければ、今回のように町の名士に信用されるのもわけない。
「俺は2年前からあいつを追ってるんだ。けど捕まえられねェ」
悔しげに少年はこぶしを手のひらにあてる。ぱんと小気味いい音がした。
「あいつは俺に挑戦してきてるのに」
「挑戦?」
「あいつは俺をターゲットにしてる。俺に代価を求めてるから」
「代価だと?いったい何の借りがあるんだ、そんな犯罪者に――」
2年前、と言った言葉がロイの頭の中でフラッシュバックした。その時、何があった。その時。


「――その、代価か」
エドはため息が聞こえないふりをした。
「あいつの楽しみのためにたくさんの人が犠牲になってる。だからあいつを捕まえなくちゃならない」
「だが、それはそいつのゲームなんだな!?その楽しみとやらも全て、2年前から始まった、お前が追うことを前提としたゲームなんだろう!」
それを代価として、エドは手足と弟の体を取り戻したのか。多くの人々が苦しむことを条件に。
「そうだ」
言い訳はなかった。まっすぐ黒い瞳を見返してくる。金の瞳に映る自分がたじろいでいるのに気づいて、ロイは視線をそらした。
弟は知らないに違いない。知っていたら、エドが軍に残ると言い出したとき、あんなに反対しないはずだ。それどころか自分も志願しようとするだろう。知っているのは彼の忠実な部下たちくらいだろうか。


「なあ、ロイ」
エドは不意にロイの手を引き寄せた。そっと指先から手袋を引きぬく。
白い、発火布の。
そのまま指に唇を寄せる。
「それであんたは何しに来たんだ?」
抱かれに来たわけじゃないだろ。
さっと紅潮し、鋼の!と声を高くする愛人に、「失礼。ただ、抱かれに来たわけじゃないだろ」と言い直す。
「――警告を。あの男の息子が君を」
指を含まれて、言葉が途切れた。それだけでなく、ロイはようやくそこで草原に潜むものに気づく。
「鋼の…見られている」
「かまわない。どうせ生きて帰すつもりはないから。――それにそいつも奴の置き土産みたいなもんだ」
囁き交わした言葉に、わかったと答え、諦めて目を閉じた。







ぱんと聞きなれた音の後に、右手の鋼の手甲が電光のような青い光を帯びて伸びていく。
ああ、確かにその方が君は慣れているだろう。これが合っている、といった真意を知り、こんなことにも慣れてしまったのか、とどこかそれを悲しむ自分がいることに、ロイは驚いた。名の知れた軍人である以上、そんなのは日常茶飯事だろう。かつての自分と同様に。それなのに、昔の彼のままでいてほしいと思っていたとは。
自分の右手の発火布は奪われたが、左手も発火布だ。だがそれを知っていて奪っていったのは、手出し無用の意か。
君の後ろ姿を眺めているのが、私の定位置なのだろうか、とロイは皮肉でなく思った。


草原にいくつもの獣の影と武器を持った人間が立ち上がる。
それらを圧するように、陽光に鋼の刃がきらめいた。
「エドワード・エルリック。――鋼の錬金術師だ」


おかしいな。エドの成長を書きたかったはずなのですが。いろいろ世の中にも目を向けることができるようになりましたよ、と…。
もともとこの話を書くきっかけは、生身に戻ったエドがそれでも武器代わり(材料)に飾り腕輪とかしてるといいなーと思ったコトなんですが。
何もないと、いざって時に困るでしょう?

敵はホーエンハイムにはあらず。けれど同じくらい賢く、そして狂っている。エドは何らかの事情でやむを得ずそいつと取引したのだとよい。あるいは、条件を知らずに契約してしまったか。どちらにしろ、そんなことまでは大佐には話さない。

文中の少佐とはリザ嬢のことです。昇進、昇進。

「見られている」から戦闘シーンまで、どれくらい時間が経っているのか、それとも全然タイムラグがないのかが、気になるんですが!(笑)



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