始原大樹-03

2004/08/30

呆れたこと、と彼女はとうとうばさりと書類を投げ出した。
積み上がっていく書類の山の上に更に高さが加わる。
「……中尉」
おそるおそるといった感じで彼女に声をかけたのは、周りの無言の圧力に押し出されたハボック少尉だった。
「探しに行って来ましょうか」
「どこへ行くつもり、ハボック少尉」
「ええと、仮眠室とか書庫とか…そこらの木陰とか…」
「私服姿の大佐が目撃されています」
「は…はァ?」
リザはさっき大佐の机に置いた書類を取り上げ、差し出す。
「セントラル駅倉庫の配置換え報告書?」
違うわ、その上のメモよ。と彼女は言い残して自分の席に戻る。

「大佐目撃証言その一、パン屋のモーラ。声を掛けたのに無視される。二、三、四も同様。証人はトーゴー中佐の奥さんとカフェ・ローランサンのマリーとキャシー・パックル巡査」
「女、女性を無視!」
「ありえないですね…」
「大佐目撃証言その五、駅員のリチャード・マリス。金だけ払って切符を置き忘れていった大佐を追っかけた」
なんてマヌケな…と真っ正直な感想は、大佐がいればすぐに消し炭にされる類のものだった。
「行き先は」
「コーダー」
「あそこでは…」
フュリーが首を振る。セントラルから西方に10キロほど離れたコーダーから、鉄道は更に4本に分岐している。
「足取りを辿るのは難しい、ということですか」
「でも、大佐。本当になんでいきなり…」
かなり本格的な逃亡なのだということをようやく知って、下士官たちは顔を見合わせた。

「帰ってくる、そうです」
「帰って…?」
「必ず帰ってくる、と。そう書き置きがありました。ただ、大事な用なのだと」
ですから、私たちはいつもどおりに仕事をしましょう。
そう微笑んで言う彼女の手は休みなく動いている。
金属を磨き、あるべき部品をあるべき場所へ。最後にじゃき、と音を立てて、リザは愛用の銃を構えた。笑顔が消える。
下士官たちはその精確無比な射線上から飛びのく。
その先には主不在の黒い革張りの椅子。
はりつめる一瞬。
どうしてもぶれて定まらない銃口に、リザは息を吐いて銃を下ろす。最初から銃弾を無駄にするつもりもなかったけれど。
まさか一人でセントラルの外にまで行っているとは思わなかった。

大佐、ご無事で。










接近者はこちらに足を踏みだし、草がつぶれる音がする。
そしてそれを追いかけるように金属のこすれる音。
ロイは思い出す。
一歩ごとに金属のスプリングをきしませ、足首と膝の関節部のベアリングのこすれる音を引き連れて歩く少年を。
そう。それとは違うけれど同じ音。
ロイはまるで断頭台の下に頭を差し出すように、土に額をつけた。





「俺を見ろよ」
ふと笑い出したくなって、実際に笑いながら幻聴かな、と言う。
すると聞きたかった声の持ち主は、幻聴なもんかよと呆れた口調で答える。涙が尽きてパリパリしている顔を上げれば、変わらない姿がある。
「すごい顔」
黄金。
私の太陽。
うわァ、本当にトチ狂ってやがる、と私をじろじろ眺める無遠慮な視線が心地いい。服を透かして視姦されているような気がした。
「天使……いや、悪魔か」
あいにくだが、私の魂はもうここにはないのだよ。君に持ち去られてしまったからね。と言ったところで、いいかげんに目を覚ませよ、バカ大佐!と殴られた。





てっきり持っていかれて魂ごと消滅したのかと思った、と言えば真顔で「それは覚悟の上だった」と木肌にぺたりと右手を当てた。鋼の右手。先に取り落とした花束同様、そこの地面に転がしている手足とは別の、鋼の手足。明らかに製作者の違うそれを、ロイは興味深く観察した。
――生きているとわかれば、彼の行動の意図をはかるのは難しくなかった。


弟の体の錬成に成功した彼は、弟を置き去りに、その最愛の弟からも姿を隠した。
死亡に見せかければ、軍との関係を断ち切ることができる。軍といつまでも関わりつづければ、禁忌たる人体錬成が発覚し、弟が研究所へ引っぱられる可能性も大きくなる。自分がいなければ、軍がエルリック兄弟の残された弟などに関心を持つはずはない。
結局は、弟を守るための手段だったというわけだ。
機械鎧を外して置いていったのは、幼なじみの機械工との関係をも絶つため。彼女と連絡をとれば、必ず弟へとつながることを承知していたからだ。彼の体に代わりの機械鎧がついていることからも前々から準備をしていたことが伺える。
こんな簡単なことだのに、巧妙なミスリードに乗り、それら全てを死と結びつけてしまっていた。
彼が弟を置いていくはずはないという思い込みが、最大の要因だった。





「私までも欺くとはな」
「人聞きの悪い事言うなあ……万全のつもりだったけど、自信はなかったから。それに」
事前に言えば、止めただろう。
「当たり前だ」
君を失って、私が私でいられるとでも思っているのか。とは口にせずに、ロイは涼しい木陰に腰を下ろす。豊かな下生えはちょうどよい柔らかなクッションで、ここならしてもそこまでひどい事態にはならないだろう、などと、頭の片隅が何かを期待して計算したりしている。
「これからどうするつもりだ?」
「…アルには会ったんだな」
「素晴らしい成功ぶりだったな。もっとも私はもともとの彼を知らないから、なんとも言えないが」
「成功したのかは正直まだわからない。長く生き続けたら何がしかの弊害が生じる可能性もある」
「ふむ、なるほど。長期間の観察が必要というわけか」
「外見は完璧だ。もっとも俺の知ってる11歳のアルだけどな。それで、アルはなんて」
「とりあえずリゼンブールで今後の身の振り方を考えるそうだ。だが、彼には錬金術があるし、生活には困らないだろう。君の資産もある」
「なら、いいや」
「何を考えていたんだ?」
「んー?アルが俺を探すとか言う感じだったらヤバイと思ってた。あと、アルは名前変えさせたりした方がいいかと思ったけど、リゼンブールなら大丈夫だろ」
あいかわらず弟のことしか頭にない兄に、ちょっと妬けるな、と呟けば、何を今更と呆れられた。



「で、いいかげんに答えないか?」
「何をー?」
大きく伸びをした少年は、肩越しに私を見下ろす。逆光で陰になった表情はよく見えない。
「君がこれからどうするのか」
「俺?んー、ちょっと気になる噂を聞いたから、北方へ行ってみようかと」
「噂?」
「賢者の石、それを売り物にしてる聖者サマがいるらしいぜ。聞いてない?」
「いや。だが、それが事実だとすれば」
「事実じゃないさ」
あっさりと少年は言い切る。
「賢者の石なんてものは存在しない。それを真に手に入れた者は、あれを賢者の石とは呼ばない」
ロイは真実をはかるように目を細めた。
手に入れたの…か?だから。
「イカサマの聖者サマか」
「それが人々の救いになっているならいい。だけど、そうじゃないなら、錬金術師として見過ごせない」
「それじゃあ、また旅に出るんだな」
「ああ。一所に留まるのは、今の俺には危険すぎる」
北方へ向かった後。その聖者を見た後はどうするつもりなのか。
旅を続けて、人に覚えられるぬように姿を変え、そして。



「そうか、ならいい」
私は立ち上がり、お尻を払った。
「君ならどんなことでも成し遂げていくだろう。幸運を祈っている」
彼を見ることすらなく、木陰から出る。とたんに周辺の温度が何度か上昇した気がして、一瞬足を止め顔をしかめる。
その一瞬でつかまっていた。
「何を逃げようとしてんだよ」



腰に鋼の腕を回した少年は、くく、とおかしげに笑った。
「逃げる?」
そのつもりではなかったのに、思わず口調がとがる。
「私から逃げようとしたのは、君のほうじゃないか」


「私がどんなつもりでここにきたと思ってるんだ!」
「どんなつもりだったんだよ」
相変わらず穏やかな、笑いを含んだ口調とは裏腹に、ぎゅうと抱き締められて胸が詰まる。
ふと足に当たった金属の重さに、空を見上げる。 雲一つない青空。同じ空を見て、駅から降り立ったロイは、送るには好い日だと思ったのだった。
「私は…」



君を埋葬しに。




さすがに少年は黙り込んだ。




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