始原大樹-04

2004/08/30

ゆっくりと上げた手で腰の腕を押し下ろすと、それは大した抗いも見せずにだらんと垂れた。
ロイは花束を拾い上げた。この暑さでもう花がうなだれている。
ガーベラは葬送の花にしては無邪気すぎるだろう。けれど、その方が似合いだと思った。
君は何もわかっていない。
私の気持ちも、誰の気持ちも踏みにじって、ここにいるのだ。
それをわかろうともしないのだろう?君は。だからこその天才なのだから。


ロイは大樹を見上げる。
濃緑の葉の間、はるか上方に薄桃の花が見えた。
「手の届かぬ高みに」
その言葉を思い出して、どこか悲しい気がした。
それが錬金術師の宿命か。
手の届かぬ高みに手を伸ばしつづける。
錬金術師たる道を捨てた自分すらも、その宿命に縛られて。
届かぬ人に未練がましく手を伸ばしつづける。


「さよならを言いに来たんだ」
それは意外にすんなりと口から押し出された。
今、この瞬間でなければ言えなかった。
君にだってわかっているはずだ。一つ所に留まることも、弟と会うことも危険だというのなら、軍人である自分と会い続けることの危険さを。
それとも、君から決定的な一言を告げなかったのは、優しさのつもりか。
「だから」
ぱんと音が弾けて、青い錬成光が背後で広がった。



思わず首をすくめたその頭にごちんと何かがぶつかる。
腕の中に飛び込んできたものを見て、ロイは目を丸くする。
赤い赤い。
「……林檎?」
「いいや、禁断の知恵の果実さ」
少年の声が笑っている。右腕の新しい機械鎧が大きく変形し、尖った先が空へ伸びている。
ロイは眩しくて少年を直視できない。
「林檎の木だったのか。……本当に?」
あらためて振り仰いで、声に疑問が混じる。
これが?そこらに生えてる林檎の木と同じ?そんな馬鹿な。
「だから林檎じゃないって。黄金の叡智の果実だって」
シャツの袖で申し訳程度にきゅっきゅっと拭き、かじればやはりそれは林檎の味がした。
「何故こんな巨大化したものか」
「昔の錬金術師の失敗作。植物のキメラだよ」
「だが、これが錬金術の始まりだと……」
「そんな太古の昔からあるわけないだろ、こんな樹」
「き…君は」
バカ?と言われて、思わず座り込みたくなるほどの脱力感を覚えた。



「けど、その伝説を信じたくなったよ。この樹を見た時」
本当に俺は。
赤い実を片手に、少年はまっすぐに見上げてくる。
ロイはその視線を避けて大樹を見上げる。
この樹にはそれだけの力がある。
失敗作であろうとなんであろうと、人をひれ伏させる何かが。
「昔、こいつを作った錬金術師を俺は尊敬するぜ」
「禁断の知恵の果実――俺も迷わずそいつを喰うだろう。それで高みに手が届くのなら」
難なくその高みから果実を落として見せた少年は、挑戦的に、見せつけるように赤い果実に白い歯を立てた。

「私たちはそうやって失いつづける」
我々錬金術師は、得たものを右目で、失ったものを左眼でみつめながら生きていく。
「俺はアルと会えないけど、アルを失ったわけじゃない」
強く言い切る少年に、君は強くなった、とそう心の中で呟く。
「じゃあ君は私を失うんだ」
「それを等価交換と呼ぶのなら、俺を失ったあんたは何を得るんだ!」

ロイにはわからなかった。
数多の女性に囲まれた華麗な日々と言ったら、刺されそうな気がした。
「俺はもっとも高みにある果実を得てみせるぜ」
けど、それで何も失いなどしない。
少年はきっぱりと言い切った。

「この世界の等価交換の法則は不完全なんだ」
「…それが君が得た真理か」
「錬金術は等価交換じゃない。それが俺の真理、俺の賢者の石だ」
本当に何もわからない。自分の目線にいつまでたっても追いつかない少年は、はるか先、はるか高い所にいて、その言葉は私のところまで下りてこない。
ロイは心のどこか隅の方で絶望を感じた。


「なあ、ソレ」
エドワードは機械鎧の指で下を指す。よく見れば、もう既にいくつかの傷が見える。彼の新しい機械鎧技師は、さぞかし嘆いていることだろう。
「埋めるの」
そのために来たんだろ。と言う彼に、そうだな、君が望むならと返す。
「原初の樹の根元に心を埋めれば、ヘドロみたいな世界でまた生きられる」
太陽はなくとも。


「何だよ、それ…!」
膝まずいて素手で土を掻き始めたロイは、怒りを含んだ頭上の声に手を止めなかった。
「ていうか、止めろよ。だいたいなんで素手なんだよ。埋葬しに来たとか言っといて全然用意してないし!」
突如視界に黄金が飛び込んできて、またも眩暈を感じて、目をそらす。
がっと手を押さえられる。
「ちょっと待て。本当にもう…あんたはなんでそうイロイロと」
呆れられているらしい。
「もしかして本気で俺とサヨナラするつもりなわけ。俺が生きてるってわかって、それでも」
「君のためにもならない。せっかく弟も欺いて、軍から離れたんだ」
私と会っていては、君のためにならない。
「ワケわかんないし!」


そうやって拒絶してくれ。私を、どこまでも。理解などいらない。


ロイは怒りに燃える金の瞳を見ようとした。 だが、黒瞳にうつるのは、紅潮した頬。金の焔は怒りに燃え盛るのではない。
「アルにも言ってないのに、俺があんたに会いに来た意味を考えろよ!」



殴られた気がした。
ええと、それは。
そう呟いて、土から目を上げると、少年はロイの両手を持ち上げていた。
ああ、もう爪の中まで土入ってる。普通なんか用意してくるよな。本当に埋める気あったの。
本当に俺の思い出全部埋めて、それで吹っ切ったりできると思ってたの。
「思ってた…」
「思ってなかっただろ」
「…思ってなかったかもしれない」
どっちだよ!という言葉はなかった。ただ、ため息をつかれただけ。

「中尉、そうとう苦労してたんだろうな……大佐がこの調子じゃ」
しみじみ言うエドに、君は中尉の何を知っているんだね、と言えば、そういう言い方なあ…と呆れられた。



「あのさ」
「なんだ」
エドが腕の機械鎧を錬成してスコップ状のものを作り、土を掘り返す。ロイは主に見ているだけ。
左足を穴の底に横たえたエドは、ロイから右腕を受け取り、少し逡巡する。
「どうした」
とうとつに右腕を頭上に放り投げると、ぱんと両手を打ち合わせる。燐光を帯びた両手の中に降りてくる機械鎧は、光の中で形を変える。跳ね上げた右手でそれを掴んだエドは、無造作に足で左足の上に土をかける。彼の右腕から錬成されたものに興味があったロイだが、好奇心を抑えて、埋葬に加わった。
最後に仕上げとでも言わんばかりに、少年はその上でぴょんぴょんと飛び跳ねる。その体勢がわずかにぎこちないのを見て、やはり新しい機械鎧に完全に馴染んでいるわけではないのだな、といくらかの不安を感じた。
ロイは元気を無くしてしまっているガーベラの花束をその墓に添えた。その花と掘り返された新しい黒い土だけが墓の存在を示している。
埋葬の最中に、右手に握っていたはずの金属の錬成生成物はどこかにしまいこまれていた。
物問いたげな視線を向けると、
「もし失敗したら、ここに埋葬してほしいと思ってたのは本当だから」
故郷の墓に、母の墓の隣に、それを望んではいけないと思ったのか、君は。


けど、生きてる俺まで埋めんな。


そう言って、少年はぐっと左の拳を引いた。




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