始原大樹-05

2004/08/30

「宜しければ、こちらに座られませんか」
「ご親切にどうも。けれど…」
「ああ、お連れの方も。どうぞご遠慮なく」
「お嬢様、お言葉に甘えましょう」
「どうも、ありがとうございます。席がなくて難儀してましたの」
列車事故でダイヤが混乱しているようですね、とロイは大佐の地位で獲得したコンパートメントに二人を招き入れる。
荷物を運ぶのを手伝う際に、こっぴどく殴られた脇腹が痛んだが、それを悟られるような生半可な鉄面皮ではない。

「ええ、全く困ったものですわ」
「あなたはどちらまで行かれますの?」
「セントラルに戻るところです。――軍人でしてね」
「まあ、私の父も軍人ですのよ。ご存知かしら、ラング中将を」
「おや、ラング中将のお嬢さんでしたか」
それは驚きだな、とロイは心の中で呟く。

「私はロイ・マスタング。今はセントラル勤務の大佐ですが、以前北方で中将の指揮下にいたことがあります」
「それは奇遇ですこと。マスタングさんさえよろしければ、もっとお話を伺いたいわ」
「お嬢様、私は到着が遅れると電話してまいります」
「お願いね、サーシャ」
では、失礼を、と年配の女性は、軽く会釈をし彼女を一人置いて出て行く。
ロイは興味深く彼女を見送った。
「彼女が気になって?」
「いいえ。咲き誇った花の美しさに、どこに目をやっていいものか迷っているところですよ」
微笑んでそう答えれば、彼女は喜びに頬を染める。
「マドモアゼル」
「ジェシカと呼んで下さいませ…」
ロイは身を倒してくる彼女を、脇腹の痛みをおしてそっと受け止めた。



「――ええ、だからこっちは何とかするから計画はそのまま」
「サーシャ」
びくりと彼女は受話器を置いた。
ドアに肘をつき、ロイはサーシャを覗きこんだ。
「帰りが遅いので、マドモアゼルが心配だと」
「駅まで出迎えの手配をしておりましたの。この状況では車を押さえるので精一杯みたいですけれど」
サーシャは平然とした顔で、セントラル駅もこのダイヤの乱れの影響を受けているようです、と言う。だが、
「それは大変だ。軍の車でお送りしますよ」
ロイは邪気のない笑顔で申し出る。
「それには及びませんわ。お忙しい大佐にそこまでしていただくわけには」
「それに行き先は軍司令部ですしね」
ロイはいつの間にか身につけた発火布の手袋をかざした。
あなたはご存知ないかもしれないが。
そう前置きして、発火布の効用について解説をした。
「できれば、女性に火傷を追わせたくはないのです。特に顔には」
蒼白になったサーシャは、ずるずると座り込んだ。


女だけで何ができると思ったが、どうやら他に仲間がいるらしい。とすれば、企んでいるのは列車強盗かテロか。自分の存在をわざわざ電話で知らせたくらいだ、厄介な話には違いない。
サーシャに当て身を喰らわせ、縛り上げたところでロイはため息をつく。
その体を衝撃が襲った。
列車が急ブレーキをかけようとしている。脱線しかねないスピードだ。もっともこのあたりは直線だから――。
舌を噛まないようにしているので精一杯だった。


ずるずると滑って、ようやく列車は動きを止めた。
「止めたんなら、おおよそ強盗の方だな」
ロイはガラス窓から外の様子をうかがった。
ふん、人数はさほどでもない。20人程度か。これでこの満員の列車を占拠しようというのはいくら何でも難しいだろう。ダイヤの乱れは彼らにとっても誤算だったのか。
一番面倒なのは、彼らに乗客を人質にとられることだ。
大技しか使えない不器用な錬金術師は、先手を取ることにした。


パチン
音がするたびに、一人が焔に包まれた。
覆面をして馬に乗った男たちは列車に近づけもしない間に、数を減らされていく。
列車の上に上がった男は、ただまっすぐと立ち、全方位に目を配っているだけだ。
普通の濃紺のジャケットに白いシャツの男は白い手袋で指を鳴らす。
一直線に走る火線は、標的を追いかけ、ぼっと弾ける。
のた打ち回り地面にこすりつけた体から火は消えない。
乱射された銃弾は、男の前に広がった青い揺らめきに融け落ちた。
ならず者たちを始末し終えた軍人は、よっと、と声を掛けて下に下りた。
列車強盗は始末したので、前方の障害物をどけたらもう進めると伝えなくては。
不安そうな表情の乗客を落ち着かせながら、ロイは機関室へと向かった。

多少鼻歌まじりな気分だったのも仕方ない。
計画は挫いたと思っていたのだから。


機関室に入ったロイは、大仰に両手を上げてみせた。
機関士も手を上げていた。
そこにはジェシカのこめかみに銃を押し当てたサーシャがいた。
「縛っておいたつもりだったんだがね」
「あの程度なら縄抜けくらいできるよ、今時」
「マスタングさん、助けて!」
マドモアゼル、ジェシカ・ラング…。
ロイは「なんてことだ」と空を仰いだ。
「お嬢さんを死なせたくなきゃ、その危険な手袋を捨てな」
ロイは手袋に目をやった。
「ジェシカ。なんで私が君を置いてサーシャの後を追ったのか、わかってないのかい」
「…サ、サーシャが悪人だと見抜いて…」
「早く!」
「まあ、待ちたまえ。サーシャ」
ロイはあいかわらず手を上に上げたまま、のんびりと言った。
「幸いにも私の悪名はそこまで世間にとどろいているわけではなさそうだ。だが、まず良家の令嬢なら、どんな男とでも二人っきりで個室に残ったりはしないものだよ。それも召使がわざわざ席を外すなどとね」
ロイはゆっくりと腕を下ろしていく。
「ついでに言えば、私みたいな若僧が大佐でラング中将と面識があるとは思わなかったんだろう。わざわざジェシカ・ラングの名前を使うとはね」
確かにラング中将には一人娘のジェシカがいるが、彼女はもう34でホールスタンシュ中佐の奥さんになっている。
「黒髪の美人で、ベッドの中ではきわめて情熱的な、素晴らしい女性だよ」
ぱちんと指が弾けた。
「女性相手だと私の焔はますます燃え盛るのさ」
そう言いつつも、ロイの瞳は焔を映してなお暗かった。
さて、とロイは機関士に、
「これ以上ダイヤの乱れを大きくするのは…」
振り向き言いかけたロイの動きが止まった。
目の前には銃口。

ぱちんという音は聞こえなかった。確かに炎は走った。制御されていない炎は拳銃を持つ男を飲みこみ、一瞬で炭化させる。
だが、指を弾く音はもっと別の音にかき消されたのだ。
もっと大きな、響く音。

左胸に衝撃。
機関士も仲間だったのか。
意識が暗転する。





……暗転しなかった。胸が苦しくて、咳き込むと激痛が走った。肋骨が数本いかれているらしい。
確か、被弾したはずだが。
それもかなりの至近距離で。
あれで心臓を外すとは、よほどのヘタクソだな。
悪態をついて上体を起こし、無理に壁に体をもたせかける。
目の前には炭化した死体が一つと、軽くあぶられて失神した女が2人。
「おおい、誰か」
呼ぶと、様子をうかがっていたらしい乗客が顔をのぞかせる。
「私は軍人だ。賊は始末したが、こっちも負傷してる。まず軍に連絡、それから他の賊が現れないか、見張りを誰かに。機関士が死んで列車は立ち往生だからな」
「わかった。あんたは動くな、医者を探そう」
男は走っていった。それは後回しでいい、と言ったのは聞こえただろうか。
おそらく聞こえてなかったか、無視したらしく、医者はほどなくして現れた。
上着を脱がされ、痛い思いをさせた挙句にようやく、「肋骨が折れとるな」と言ったこのヒゲの老人に、ロイは心の中でこのヤブめ!と罵った。

「一体何が起きたのかね」
「撃たれたんだが、ヘタクソで外したらしい」
「撃たれとらんよ」
老医者はかぶりをふり、上着をロイに手渡した。
「日頃の備えが役に立ったというわけじゃな」
ロイは肩をすくめようとして、痛みに背を丸めた。

つかみ損ねた上着が落ちて、チンと音を立てた。
ようやく息ができるようになったロイはそれを手にする。
ジャケットの内ポケットから落ちたもの。
「……はは」
確かに「撃たれとらん」。そしてヤツはヘタクソでも何でもなかった。
私を太陽が守ってくれたという、ただそれだけで。
羽根のように軽く、鋼鉄をしのぐ強度。
等価交換を超えた至高の錬金術師の作り出した金属は、5メートルそこいらから発射された弾丸を受け止めていた。
波紋のようにへこんだ名刺サイズの板金。
その中央に先をめり込ませている弾丸。


ひっくり返せば、文字が見える。
それは1年後の日付と西方の町の名前。
「借りが…できたか?」
ロイは不意にこみあげる笑いをおさえられずに、頭をそらす。
借りは返さなくては。
一年後、君にそこで会えるだろう。
おそらくそこには巨木があって、私たちはそこでまた罪の果実をかじるのだ。
私を殴ってその隙に姿を消したことへの文句はその時にしよう。

笑うと胸が痛かった。
それは骨折の痛みであって、断じて君への思いで胸が痛んでいるのではなかったけれど。
列車が動き出すまでは、この痛みに酔いしれてもいいだろう?


――終了!ようやく!(笑)
どうにも進まなかったので、4の後半から5までは大幅改編。当初の予定とはまるで違うモノに! けど、3のリザ嬢の心配とかがちゃんと伏線になったっぽいし…?あれ?なってない?(汗) あそこはずいぶん前に書いてたトコで、5みたいな話は最初全くなかったので、書いてるうちにうまくいくって本当だな…と。これに味をしめると危険だけど。
二人が別れるような展開にならなくてほっとしてます(途中なりかけた)。

始原大樹、私にしては長かったですが、お付き合いくださりありがとうございます。




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