LOST


息苦しくて目が覚めた。朝にはまだ程遠い闇の中で、もう一度眠ろうと目を閉じたが、一度目覚めてしまった体を鎮めるのは容易なことではなく、アンナは観念して床を出た。
ふと思いついて隣の部屋を覗いてみると、案の定布団を蹴飛ばして大の字に眠る婚約者の姿があった。その布団をかけてやる手つきがひどく優しいものであることに、その顔に浮かぶ自然な微笑みに、誰か気付く者があっただろうか。
アンナはそっと宿舎を出た。


本戦が始まって何日目だろう。まだ――2日?3日?それなのにずいぶん長いことこの島にいる気がする。そんなに言うほどたくさんのことがあったかしら。葉は勝っている。これからも勝つ。
葉にはあたしがついているのだから。
アンナは石垣に腰を下ろした。宿舎から少し離れた所に来てしまった。あたしは離れたかったのだろうか。何から?葉から?そんな……。
そんな馬鹿な、と否定できない自分を、アンナはさめた目で見据えた。
あたしは怖がってる。全てが――全てが進んでいくことを。全てがその定められた終末に向かい、進んでいくことを。あたしは葉のために何ができるのだろう。あたしは――。


会場から離れたこんな所まではパッチ族も手が回らなかったのだろう。アンナの手は、知らずコケや短い草に覆われた古い石組みを撫でていた。
静かだ。あまりにも静かすぎて、アンナはふと思い出す。山での日々を。
音がない世界なんてない。静かになればなるほど、自然のざわめきは大きくなる。囁く木々、夜飛ぶ鳥の低い声、ざわめく風。虫の羽音までもが耳に飛び込んでくる。
月が中空に輝いていた。半月はとうに過ぎているが、満月には微妙に足りない。その輪郭のふくらみととんがりに、アンナは無心に見入っていた。






「あの月はまるで君のようだね、アンナ」
不意に掛けられた声に、アンナは1080に手をかける。その軽い口調、葉に似たその声。何故ここに……!!
月を背に、その顔を影に隠した男は、何の気負いもなく近付いてくる。1080を手にしたアンナの気迫をものともせずに、二人の距離を縮めてくる。
強敵であることはわかっている。そして自分が、葉が倒さねばならない最大の敵であることも。だけど――あたしじゃ勝てない。
絶望と恐怖にアンナの全身がそそけ立つ。


「隣、いいかな?」
アンナから1メートルの所で彼は立ち止まる。にこりと笑った顔が月明かりに見えた、と思った時にはもう彼は、アンナの言葉を待たずに石垣に腰を下ろしていた。
絶望は去っていた。しかし、恐怖はまだ残っていた。


「何をしにきたの?闇討ちなんてするつもりがないことぐらい、わかってるつもりだったけど?」
自分の口から出た強がりにアンナは自分でもほっとする。大丈夫、あたしはいつもどおりのあたしだわ。だってあたしには葉がいるもの。
「僕は君に会いに来たんだよ、アンナ。美しく気高い麻倉の嫁よ」
その真面目くさった口調にからかいの響きを感じ取り、アンナはきりきりと眉をつり上げた。
「戯言もいいかげんにしなさい。あたしとあんたは敵なのよ」
アンナは石垣から飛び降りようとした。いつまでもこの男の隣にはいられない。今こうしている間も隣を見ずとも、この男がどんな顔をしているのかがわかる。葉によく似たその顔に、全てを包み込むようなあの恐ろしい笑顔を浮かべているに違いないのだ。
アンナは1080を握った手をいっそう強く握り締め、石垣に手をついた。




「僕と君は敵じゃないよ、アンナ」
掴まれた手首は揺らがなかった。振りほどく努力を諦め、アンナは距離を縮めた男を睨みつけた。
「葉の敵はあたしの敵よ。だってあたしは――」
「葉を愛しているから?」
言葉を奪われて、アンナは渋々頷く。


「――そうよ、あたしは葉を愛してる。手を放しなさい、麻倉葉王。あんたにあたしに触れる資格はないわ」
言葉が途中から尖ったのは、星の男がまたあの笑顔を浮かべたから。飲み込まれそうになる。それが怖くてアンナは自分の周りに虚勢の壁を張り巡らす。
「……知ってるかい、アンナ。君ぐらいの年の女の子は、"愛してる"なんて言わないもんだよ」
ハオはふっとアンナから視線をそらして言った。さっきまでのように月を見上げて、座る二人。違うのは、ハオの手がアンナの手に重ねられていることだけ。
「何が言いたいの」
アンナは月を見ない。ハオと同じモノを見つめているだけで、視界を共有するだけで、何かが二人の心に通いあってしまいそうな気がして。同調してしまいそうで。
ただ、自分の膝とその上に置かれた左手の1080を見つめている。


「君が初めて"葉を愛している"と言ったのはいつだったろうね」
「――そんな昔のこと覚えてないわ。」
「これは思い出話じゃないよ、アンナ。君は本当に葉を愛してるのか?」
「当たり前でしょ、バカ言わないで!」
見ないつもりだったのに、アンナはハオの顔を見上げてしまっていた。許せなかった。あたしは……あたしは!




だが愛する者によく似た横顔はアンナの気をそぐのに十分だった。ハオはうなだれたアンナを目だけで見て、言葉を継いだ。
「君は幼い頃に葉の婚約者候補として選ばれた。君は麻倉の女の元で育てられ、そして教えこまれた。麻倉の嫁として必要なこと全てを」
「ええ、そうよ。あたしは葉の祖母の元で育てられた」
……だから?だから何だって言うの。こいつは人のことを調べ上げて…そして何が言いたいの。


「君は何を教えられた?」
「……麻倉に伝わる様々な術や、イタコとしての技とか、家事一般……」
答える義務はないと思いながらもアンナは答える。
「それだけじゃないだろ?」
「何が……」
アンナは聞いてはいけないと叫ぶ自分の声を聞いていた。
「何が言いたいの」
「君は教えこまれた、麻倉の女に。"自分は葉を愛している"と」






ひゅっとアンナは息を吸い込んだ。吐いた言葉は自分でも空虚に響いた。
「…くだらないわね」
「くだらないかな?麻倉は500年以上も続いた家だよ。500年の間に麻倉を支える嫁の作り方ぐらいマニュアル化されててもおかしくはないとは思わないかい」
ハオは笑みを消した。いまやハオはアンナを真っ直ぐ見つめていた。目を向けずとも、その視線は自分の体を貫き、この場に縫い止めている。
「アンナ、悪いが、これは僕の推測じゃなくて、事実だ。麻倉の嫁は代々そうやって作られてきた。君は葉を愛しているわけじゃない。君はただ物心ついた頃にそう教えこまれただけなんだ。」
「…ちが…」
違う。たった3音の言葉すら唇に載せることができない。ハオの視線が、言葉が、アンナの体を凝固させる。
「僕はただ、君を忌まわしい麻倉の家から解放したいだけなんだ、アンナ。君はもっと自由に生きていい人だ。それが君の本来あるべき姿なんだよ」
決して激情に囚われないその声がアンナの壁を優しく熔かした。




気付けば――抱きすくめられていた。
「アンナ」
息を飲んだそのまま、動けなかった。反射的に動かした手はハオの腕にかかっていたが、それ以上力を込めることも振り払うことも出来なかった。
温かい。何でこんなに温かいの。あたしは葉に抱きしめてもらったこともない。
でも、あたしは。
あたしはやっぱり。


「手を放しなさい、麻倉葉王」
アンナは同じセリフを繰り返した。半分かすれ、震えてさえいる声には従うまいと思われたハオはしかし、素直に体を離した。だが依然アンナを腕の中に囲い込んだまま、「アンナ?」と声をかける。


変わらない声。揺るがない声。決してその感情を覗かせない。深みのある落ち着いた声。
あたしが欲しいのはこれじゃない。あんたが変わらないようにあたしも変われない、もう。
アンナは緩んだ腕からやすやすと逃れた。ハオも、もう引き止めようとはしなかった。


「あんたの戯言に付き合うつもりはないわ」
アンナは宿舎へ戻る道を辿りはじめた。アンナは決してふりかえらなかった。ハオが石垣の上であの笑顔を浮かべて、月光に照らされる自分の姿を見送っているのがわかっていたから。








アンナは宿舎の前で足を止めた。言っておくべきことが、あった。
「阿弥陀丸」
呼びかけにはっとした気配があり、侍の霊はアンナの背後にその姿を現した。
「気付いておられたのか……」
「当然でしょ。ハオも気付いてたわ」
続ける言葉もなく、二人は口を閉ざした。陰りを帯びた声にいつもの響きはない。深い森の中に沸きいづる清冽な泉の、心地良さと涼やかさを併せ持ったその響きがない。


「アンナ殿……」
「葉に、言うつもり」
尋ねる口調ではなかったが、阿弥陀丸の言葉をさえぎって発せられた言葉は、ひどく重く響いた。
侍は言葉を選んだが、出てきたのはいつものセリフでしかなかった。
「拙者はサムライなれば」
「そうね」


期待もなければ、落胆もなかった。アンナは変わらない足取りで段を上がり扉に手をかけた。
変わらない月の光が二人に等しく優しく降り注いでいた。いつもの彼女に似合わずわずかに俯く少女の小さな背中に、600年の時を経た侍の霊は彼女の年齢を思い出す。
何故忘れてしまっていたのだろう、何故忘れてしまえていたのだろう。少女の強さは脆さと裏表であることなどわかっていたはずだったのに。そんな事、彼女が初めて涙を見せたときにわかっていたはずなのに。
月の光の下では何もかもが体温を無くしていた。
阿弥陀丸は自分の主たる少年の姿を思い浮かべる。一件茫洋としている彼は何もかも受け入れる強さを持っている。だが、だからと言って……。


「アンナ殿」
穏やかな言葉に何を感じたのか、少女はわずかに頭を巡らす。
「何」
「拙者は――その、今夜はずっと位牌の中で寝ていたでござる」
「……」
「つまり、その――もちろんアンナ殿がどこかに行かれたのにも気付かなかったでござる」
沈黙が痛い。もうちょっとうまい言い方があっただろうに、と思ったものの、元来言葉を飾る性質ではない阿弥陀丸にそんな器用な真似ができようはずもなかった。


「――あたしは」
アンナは扉を押し開けた。
「あたしは葉を愛してるわ」
弱く、迷いを残していたものの、言葉はアンナの色を取り戻していた。何かに挑むように闇の中に消えていく少女の背中を見送って、阿弥陀丸は聞こえないことを知りつつ微笑んだ。
「知っているでござるよ」


初マンキン小説。
葉×アンナでハオ様出歯ガメというワタシの基本スタンスに実に忠実なカンジで、個人的には大満足。
しかも書きたかったネタだから。「"麻倉の嫁"について」は。
このネタを思いついて、どうしても書きたくなって、テスト前のピンチ時に書き上げ…(吐血)。
もう一つネタがあるんだが、うまく書けねー。 くやし――!!……つーかテスト勉強しろって、ワタシ。



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