「何、あんた一人なの?葉は?」
アンナは台所に引っ込んで、買い物袋の中身を冷蔵庫に入れている。
「あれ?葉なら夕飯の買出しだぜ?かぶってんじゃねェの?」
「これはあたし用のオヤツ。じゃあ、あんた留守番だったわけ」
「おうよ」
「その割には、あたしが帰ってきたのにも気づかないじゃない――不用心だわ」
買ってきたばかりらしいゼリーを1個、ガラスの器に移してこちらへ来る。
「仕方ね―だろ」
これ聞いてたんだから、と片耳さしこんだままのイヤホンを指し示す。ふすまにもたれたまま、彼女は「何?」と聞く。
「ボブ。オレは別にいいって言ったにのよォ。葉とチョコラブがオレにボブの素晴らしさを教えてやる!とか言いやがってさ。あいつらが帰って来るまでにこの曲フリ付きで歌えるようにしろとか何とか」
もう、ムチャクチャだぜ。
思い出すだけで頭を抱えたくなる。
「ふーん、それ新曲でしょ?」
アンナは食べかけのゼリーとスプーンをテーブルに置く。
あまりにもアンナの動きが自然だったので、ドキリとする間もなかった。
すたすたとテーブルをまわり、オレの横、膝が触れるほどの距離にぺたんと座り。
このキョリ。
髪がオレの耳に触れる。
触れてみたいと、願った髪がオレのすぐ横にある。
「あいかわらずな曲ね」
右耳にイヤホンをあてがい、アンナは顔をしかめた。
ヤ…ヤベェ。近すぎるだろ、これは。
心臓が今ごろどくどく言いだす。
オレの気も知らずアンナは片耳じゃよくわからない、と言って音量を上げる。
「……ったくさ、チョコラブまでボブファンだとは思わなかったぜ。ステレオで攻撃してくるんだもんな。何でもNYのストリートじゃボブは子守唄がわりだとか何とか…」
瞬きもできないまま、アンナを見つめる。
眉を寄せて聞く、その表情。こんな間近でもへこみ一つ見つけられない、なめらかな白い肌。
熱に浮かされたように喋っている内容など、自分でもろくにわかっちゃいない。
一本のラインと一つの音楽が、オレとアンナをつないでいる。
……それがボブだってのは、どうにもムードがない話だけど。
すぐに喋る内容も尽きてしまう。頭なんて働かねェ。もともといつだってそんなもん働かせてねェけど、こんなとき、もうちょっと気の利いたことが喋れたら。
そしたら、こいつも、オレの方を見てくれるのだろうか。
俺はアンナから視線を引きはがす。
「聞くか?」
左耳のイヤホンを差し出すと、アンナは素直に受け取った。
「何だよ、お前もボブ好きだったのか?」
「まさか」
即答。
「けっこうマジで聞いてるからよ」
「好きになんかなれるはずないじゃない」
髪をかきあげ、イヤホンを耳に引っかけながら言う。
「だって、葉が夢中になってるものよ。大嫌いだわ」
アンナは両耳にイヤホンをはめ、目を閉じた。
「……何だよ…それ…」
笑いたくなってしまう、自分を。
こうまで空回りしている自分を。
「……なんでそれをオレに言うんだよ…」
力ない言葉。
それはアンナに届かない。
目を閉じ大音量のボブのビートに身を委ねる彼女には。
ついさっきまで2人をつないでいた一本のラインと音楽が、今はオレ達を隔てている。
おそらくは、つながっていたなんて思うこと自体が妄想なのだろう。
テーブルの上ですっかり忘れられたゼリーの器が、静かに汗をかいていた。
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