「――魚だ」
どことも知れぬ街をぶらつくオイラの目に止まったのは、控えめな魚の絵だった。
濃い青と薄い青。同じ青の濃淡だけで木の看板に描かれた魚の絵は、それだけでオイラの気を引くのに十分。
「ちょっと入っていいか?」
袖を引くと、ハオは気のない風でうなづいた。とんとんと地下へ降りると、その奥にガラスの扉。
「すっ……げェ……」
思わず息を止めた。薄暗い店内に幻想的な水槽の列が広がる。
「熱帯魚だ…」
「知らずに入ってきたの?」
ハオが苦笑している。看板に書いてあっただろ、と言うのを聞き流す。だって、アレ何語だよ。
オイラにはそれすらわからないのに、ハオは読めちまうんだ、アレが。
「これ…凄い」
ディスプレイされた水槽の一つ。割合小ぶりなそれは小宇宙。中を泳ぐのは群青の小さな2匹の魚。
「看板のヤツみたいな色だな……」
「気に入った?」
「うん……」
頭の後ろから掛けられた声にそう返事をかえし……はっとオイラは振り返る。
店員の告げた金額と、あっさりそれにうなづきカードを出したハオに、オイラは目眩を感じた。
でも、翌日配送されてきた水槽の前で、オイラは凄く幸せで。
床に置いたその前で両手にあごを乗っけて、寝転がる。ゆーらゆーらと体を揺らしながら、
オイラは魚を目で追う。
だからダメなんだよな…オイラ…。
いつもこんな感じでハオと出かけると、何かしら買ってもらう羽目になる。
それも…大抵そこまで必要ではないモノばかり。
ちょっといいな、と思っただけ、それだけのものばかり。
欲しくて欲しくてたまらないモノとかじゃないんよ。
…欲しくて仕方ないものなんて、オイラあんまりないし。
無駄遣いすんなって、ハオにはいつも言ってるんだけど、
ハオの奴、自分のものじゃなくてオイラにばっかり物を買いたがるから。
……オイラは何も言えなくなる。
ダメダメなオイラ。
わかっていても、泳ぎ回る魚を見ていると頬は自然と緩んで。
「そんなに楽しい?」
「ん〜…」
買ってくれた当のハオにも生返事をしていた。
そんなやりとりがしばらく続いた後で。
「ねえ、葉」
そう言ったハオの言葉は微妙にトーンが違っていて、無視できない響きを含んでいた。
「……ハオ?」
並んで水槽の前に寝転がるその横顔には、笑みさえ浮かんでいる。
でも、おまえの心が読めないオイラにだって、お前が笑っちゃいないことぐらいわかるんよ?
「魚だって溺れるって知ってた?」
「魚が…?」
「うん、カンタン」
いくらか楽しげにそう言ったハオは、水槽側面のスイッチをパチリと切った。
「ハオ……!!」
伸ばした手が戒められ、腰を抱き寄せられる。蹂躙される唇。愛撫。
慣らされた体は逆に求めるように動き、その一つ一つに忠実に反応を返してしまう。
――だけど。
――ハオが切ったスイッチは。
押し入ってくるものは、もはや快楽の奔流以外の何物でもない。
飛びそうで飛ばない意識。
「あ…あァッ……!」
自分のものではないような声。中途半端なところで、不意に止まる動き。
思わず動こうとしてぐっと背を押さえつけられ、冷たい床に胸が触れる。
押さえつけられた背も、挿れたモノもそのままに、ハオはオイラのあごに手を掛け、顔を上げさせた。
「見てごらん、葉……」
一匹がぷかりと腹を見せて浮かんだ。
一匹が水面付近を不自然にのたうちまわっている。
「ごらん、葉。……おかしいね……」
モーター音がしなかった。ハオが切ったのは、酸素のポンプ。
くすくすとハオは笑う。
「魚のくせに溺れてるよ」
ハオは囁き、行為を再開した。
オイラの目の前で、苦しんでいた魚がふっと動きをとめて少し沈み、ゆっくりと浮かんでいった。
ぽっかりと浮かぶ。
青い魚。
さっきまで泳いでいた魚。
頬に溢れた涙に気付いて、ハオは舌で舐めとった。
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